太古の記憶

地が沈むのか、敵の襲撃か、破滅的状況が迫っていて、脱出する準備に奔走していた。
岩山の山頂のようなところに駆け上がる。
とてつもなく恐ろしいものから必死に逃げようと走っている。

大きなスペースシップが上空にやってきて、多くの仲間たちと安堵してそこに迎え入れられる。
これで助かった・・・胸を撫で下ろしふと見ると、まだ幾人もの仲間たちが必死の形相で逃げてくる。

彼らも救わなければ!弾かれるように駆けつけて、仲間を助ける。
彼らは私が危機を告げ避難を迫ったとき、せせら笑った者たちだ。
火のように湧き上がる怒りをグッと飲み込み、しんがりから山頂を駆け上がる。

津波にのまれたか、山が崩れ落ちたか、敵の大群に襲撃されたか、
大打撃が一発起こって、スペースシップが離れる。

間に合わなかった・・・
大きな無念に打ちひしがれ、自分が崩れ落ちる。
殺戮されるがままなのか、溶岩に呑まれたか、自分の身体が壊れていく中、
間に合わなかったという無念の思いだけに焦がされ朽ちた。

こうして地に残された私は、仲間を助けたいという強い思いと、
どうせダメなのだという絶望の相反する思いに心を引き裂かれ、
何千年もの時が過ぎ、とうとう自分が何なのかすらわからなくなっていった。
この地に鎖で繋がれて、この地を這いずり回った。

このような夢を見ながらも同時に、これは知っている、終わったドラマを見ていると
俯瞰しているような感覚も意識しているのだった。


大内先生が生前に語っていたことにレムリア、ムー大陸の記憶というものがあった。
かつてそれを説き告げたけれど、受け止めようとしない人たちがいて、
いざ大陸が沈むとき、溺れていく彼らを助けることができなかった。
それを深く後悔し、大きな罪悪感を持っている人が、
今生日本の特に女性として生まれている人に多いというもの。
その話を思い出した。


仲間を救えない無念さ・・・
自分は何の役にも立たないという無力感・・・
もうすでに終わったことを見ているという観点・・・
一直線に進んでいくはずの地球の時間軸が、混在している。


私の思いの中に古から癒されず疼いている傷口があって、
覆い隠されていたそれがいよいよ表に出て来た感がある。

これらすべてひっくるめて救われる機会がやってきているような予感がある。