聖霊への手紙 3

聖霊

 

今日午前中は歯医者の予約が入っていました。億劫でキャンセルしたかったのですが、行きました。犬の散歩をして、支度して、十分間に合うように算段したつもりでしたが、やはり出遅れました。この辺りから重苦しいいつも身に纏っている嫌な感じが漂い出しました。でもこんな状況も丸ごと聖霊に差し出しました。

 

今日一日を生きよう

 明日やその先のことを思い煩うことを、今は手放そうと思いました。そして

 

私を救ってください 今の私にわかるように助けてください

と祈って今日を始めていきました。

 

 

疑問、不安、提案思っていること全部を衛生士さんに打ち明けました。ちゃんと受け止めてもらえました。いくつかのプランを提示され、選択権を与えられました。私の選択がどのようなものであれ、返事を待っていてくれると言ってもらえました。初めて歯科治療で意思疎通ができたように感じました。

 

 

まっすぐ帰るには惜しい暖かな陽気だったので、六義園に立ち寄ることにしました。場所は知っていながら入ったことはなかったのですが、見事でした。とても雰囲気が良く、景色も広々として素晴らしかったです。間を空けずまた行きたいですが、枝垂れ桜の見物客で激混みなので、桜が終わる頃、着物を着ておにぎりでも持ってゆっくり腰掛けて過ごしたいです。

 

駅へ向かう途中、餃子を売りにしている中華店に入ってみました。愛想は無いのだけれど、悪意も無い、何なら好意的といった台湾人あるあるの店でした。餃子は海鮮味のようで日本人の好みではないような気がしました。でも量が惜しみなく、安かったです。

 

これまでひとりでごはん屋さんに入れなかったけど、思い切って入って良かったと思いました。自分がそうやって行動しているのが楽しかったし、値踏みするようにジロジロ見られるようなことはなかったし、空いている私の隣の席に若い女の子が一人で座ってくれたことも何だか良かった。

 

 

駅のホームで電車を待っていると、まばらな客で空いているのにわざわざ私のすぐ近くに立つ人がいます。スーツケースを引いているではないか。ぶつかって来られたりしたら嫌だな、離れようかなと思っていたところ、声を掛けられました。

 

「すみません。聞いていいですか?」

二十歳ぐらいの華奢な細い女の子でした。大きなスーツケースの上にはディズニーランドの紙袋が載っています。

 

「〇〇駅へ行きたいんですけど…わからなく…なっちゃって…」

話している途中からみるみる涙が溢れて、こぼれ落ちてしまいました。

 

一瞬にして私も泣きそうになってしまいました。ハグしたい衝動に駆られました。

女の子が可愛くて、可哀そうで、安心させたくて。

 

私も不慣れだったので何人かの人に聞いて回り、親切そうな女性に声を掛けたところ、わざわざスマホを出して調べて説明してくださり、途中まで一緒だからと女の子と同乗してくださいました。私は反対ホームだったので、ありがたくお願いして別れました。

 

 

 

聖霊、あなたは今日私に何を教えてくださろうとしたのですか。

 

あれこれ頭で考えてもどうせろくな答えにはなりそうもないので、このことで私が感じたことをここに書き出してみます。その方が合ってるような気がして。

  

まずあの女の子に感じたこと。

そんなことで泣かなくていいのに。可愛いな。助けてあげよう。泣かなくていいんだよと安心させたい。勇気を振り絞って聞いてきたのだろうな。

といったところ。

 

そして色々な人がいるホームで何故私に訊こうと思ったのだろうかが不思議。私が訊いて回ったとき、この人なら大丈夫だと思える人に声を掛けた。親切そうな、誠実そうな、そういう人を無意識に選んでいたと思う。ならば、この私であっても遠目から見てもそのように見えたから、彼女は私に定めて来たのだろうと推察するのは不自然ではない。

 

幼少時から人に道を尋ねられることが多かったのだ。でもそのことで何回か嫌な体験をしたことがあった。憤慨してやるせなくて、だから自分がのほほんとしたお人好しな顔をしているから付け込まれるのだ。もっと警戒して近づけさせないようにしなくてはと武装をするようになったのだった。

 

それを忘れるほどそのやり方がすっかり馴染んで、今ではいずれの人をも敵視するまでになり果ててしまったことに愕然としている昨今だったが。

 

もしあの人に聞いてみようと彼女が決断してくれるような雰囲気が未だ私に残っているのだとしたら、嬉しい。

 

 

思いつくことはこれくらい。これがそうかなという見当はきっと後からわかるのだろうと思う。とにかく今日一日、良い気分を味あわせていただいて、どうもありがとう。