本当に見るために預けられた身体

今日は眼科の定期検査。視力に影響しないよう裸眼のまま病院へ向かうのだが、
一メートル先も見えず不自由なので、タクシーを利用する。 
目的地を告げ、道は分かるかどうか運転手さんに確認。
有名な病院だから知っているとのことから会話が始まる。
運転手さんは視力は良いが光に弱いと診断されていたので、
屋外ではサングラスをするなどケアしてきたそう。
ところが少年野球の監督をしていたころ悪くなってきた。
校庭や河川敷といった日差しを遮るものが何もない炎天下、裸眼を強いられたからだという。
そしてサングラスが禁じられた理由とはなんと、柄が悪く見えるから。
日本には昔から、わけのわからん精神論がある!と憤る運転手さん。




驚いた。
その運転手さんこそ、精神論を振りかざして譲らない頑固オヤジといった風貌だったから。




私はいかに目の前の人を己の貧弱な経験から勝手に判断し、でっちあげ、排除してきたことか。

生命を取りこぼし、本当にもったいないことだった。




目の前の人の本当の姿を見せていただけることの楽しさ、
目の霞が晴れることの爽快さ、
というギフトを受取り、病院に到着。






いくつかの検査の結果、良好。

心配していた結果にならなくて良かったなどと 感謝するような話ではない。

私の身体は預けられた。
もうここからは私の身体ではなく、使っていただく身体になったのだと思った。


写真 (6)