思考癖

遠出をした先で昼食を取りたかったのですが、民家もまばらで店も無く、
たった一つ建っている病院で軽食を取りました。
消毒液の匂いや、端に置かれている車イスなどを何とはなしに見ていると、
ある時点での自分が思い出されてきました。

幼い頃の私は、包帯が好きでした。
松葉杖をついてみたいし、病院のベッドにも憧れていました。
 可哀そうな状況にある自分にうっとりし、
人から同情されたいという強い欲求があることを自覚していました。


現在の私は自我にとっては満足な出来栄えだと思われます。
可哀そうな人生になりました。

でも、これは朗報と言えるかもしれません。
私は自分がたいへんな被害者嗜好であるということがわかったからです。
私は人生を掛けて自分が被害者になるよう運んでいるのです。
この調子でいけば、どこへいっても何をしても可愛そうな目に遭うでしょう。
願いが叶うということがわかったということでもあります。

無意識のうちに目まぐるしく、自分が被害者でいられるように組み立てています。
私は生きていく上で、このことをよくよく肝に銘じておかなければなりません。




 そしてエゴがこれほどまでに一つのイメージを私に思い込ませようとするのには、
特別な意図があるように思います。
抱かせようとするイメージではないというのが本来の私の姿で、
そこから必死に目を逸らせようとするエゴの魂胆が丸見えな気がしています。




そんなにまでエゴが見せたがらない本当の私の姿って、、、スゴイんじゃないの?




私はそれを見てみたい。
見せてください。