息子に思うこと

14歳の息子は海外で寮生活をしており、年に2回夏と冬に一時帰国します。

大きく環境の変わるそれらをこなしていけるようになるにはそれなりに時間が掛かること、
彼のリズムで過ごし、行き来を重ねるうちに、次第に整っていくだろう…
このように先輩がアドバイスしてくださいました。

先を憂いてしまいがちなところ、
心配することはないのだというお手本を示していただいたお蔭で、
心が落ち着いて、視界も晴れやかになってきました。
確かに息子には二つの生活があり、
生活を二つ持つということは実際にかなりの労力がいることです。
それにハチャメチャな半生であった私でもちゃんとこうして導かれているように、
彼にも間違いなく聖霊が着いていてくださることを思いました。

ただ親としてどうしてもこれはと思うことがあり、伝えることにしました。
今シーズン2度目の風邪引きで、体調管理が気になること、
身体の形成期である今を有意義に過ごして欲しいと願っていること、
私の心は静かで、祈りにも似た気持ちでした。


奇跡が起こりました。
足の踏み場もないほど散らかっていた息子の部屋が、見紛うほど片づけられていたことと、
もうひとつ、主人が息子をジョギングに誘ったことです。
これのどこが奇跡かと思われるかもしれませんが、我が家にとっては奇跡なのです(笑)。


結婚生活十数年で、主人が家族のことに関わったのは初めてでした。
当然今回のことも見て見ぬふりか、
あるいは本当に家にいないので見ていないのだと思い込んでいました。
それが息子の生活態度を咎めることなく、やる気を引き出すようなやり方で息子に歩み寄るなんて。
それを聞いた瞬間、時が止まったように感じました。


息子の人生を間違いのないものにしたい。
最初にそう願ったのでした。
主人は家にいない、私がか弱いこの命を守らないけない、
私がこの子を幸せにしなきゃいけない、こうしなくちゃ、ああしなくちゃ…
どんどん複雑化していき、自分では抜き差しならないものに化けてしまっていました。
そもそも最初がすでに間違っていました。
私が息子の人生の全責任を負っているなんて!とんでもない勘違いでした。
そしてやはり私は最愛であるはずの息子にも自身の罪悪感を投影をしているのでした。



目の前に見せていただいたものも奇跡なら、
私自身の勘違いと投影を垣間見たのも奇跡です。
またずっとこの人生が終わるまで氷山の一角を見続けるのでしょうが、
ひとつづつ直視して、手放していきたいです。
私があっけなく自我の方を選んでしまったのと同じように、
軽やかに聖霊の方を選べるようになりたい。