結婚生活 前期

妊娠したことを主人に告げたとき、サーッと波が引いていくように感じました。
私に差し出していた両手を引っ込め、灯が消えた能面のような顔になった彼が、
自分の殻に入っていくのを感じました。

妊娠に対して彼は異を唱えなかったし、協力的だったので、
子どもを望まない人に無理強いした訳ではないはず。
赤ちゃんが生まれることを喜び合えると思って告げたのに、
まるで私に別れを告げられたかのように彼は引いていきました。

ほどなくしてそれが如実になっていきます。
彼に連絡を取ろうとしても応じてもらえないのです。
携帯は出ない。留守電にメッセージを入れても返してこない。
会社に電話を入れても出ない。何度も何度も掛けましたが、悉く無視されました。
終電が終わっても帰宅しません。明け方私が寝てしまっている時にスッと入ってきて、
すぐシャワーと着替えを済まし、顔を合わせず出て行く。
週末は無断で外泊するようにもなりました。
まったく何も告げず、一切のやりとりもなしに。

そしてとうとう彼の財布から宝飾品の領収証が出てきたのです。
プレゼントの心当たりはありません。
もう確実でした。彼は浮気をしている。ショックで泣き叫んでしまいました。
その夜、切迫流産で入院。幸い数日で退院することができました。
何とも言えない日々の中、彼とは音信不通のままでした。
かといって荷物をまとめて出て行くふうでもないのです。

そして今度は妊娠6カ月で切迫早産。この時ばかりは数ヶ月の入院となりました。
子どもを助けて欲しいと祈りながら入院の支度をし、
ひとり電車に乗って病院へ行きました。
車窓から見る夕焼けがとても切なかったです。

近くに住んでいましたが、実家をあてにすることはできませんでした。
同じ頃第二子を妊娠していた妹が実家に里帰りしており、
母はそちらに掛かりっきりでした。
小さい頃からピンチで助けが必要なとき、重なるように出来事が起き、
秤にかけられた末、いつも私ではない方が選ばれるのでした。
それどころじゃないからと。
血の繋がった実の親の元に居ながら、
広い世界に孤児として生きていかなければならないという孤独と疎外感。
家族の中で自分だけメンバーではないように感じながら生きるのでした。

ですから亭主に捨てられてしまっても帰る家などありません。
帰ったとしてもアル中の父は、こぶ付きで出戻る私をなじるでしょう。
そして母や妹はやはりそれを私の非と、口には出さずとも責めるでしょう。

私は若い頃に一度結婚しています。
十代で家出をし、その延長で結婚、一年も経ず離婚。
母が私を実家へ連れ帰りましたが、
毎晩べろべろに酔った父から罵詈雑言を浴びせかけられます。
黄色く濁った執拗に光る目、奇妙に歪ませた口元から発せられる憎悪。
出戻りの傷モノの娘。みっともない。近所中の笑い者―
毎晩、毎晩延々と父は私をなじり続けました。
頭が狂いそうでした。
母は私がそこに居続けることを強いました。
突き落とされ、針のむしろに座らされる―
それが私にとっての家庭というものでした。



心を殺そう―そう決意しました。
お腹のこの子をまずは無事に産むこと。そのことだけを考えよう。
私のことは殺してしまおう。どうせ誰からも愛されないのだから―
そう思うことで一件落着しました。
気持ちが書き乱されることがなくなっていきました。