自分自身に向ける愛

人が喜ぶことをしてきました。
物心ついた頃から父、母、先生、近所の人、友人、先生、見知らぬ人…
私の人生に登場する人々を大切に思い、
真心を差し出すことを誰に教わることもなくやってきたように思います。

駅へ向かうバス停で時々お見掛けする老紳士がいました。
帽子にステッキ、地の厚い背広をお召しで、
とても品のある雰囲気をまとっていらっしゃいました。
小学生のこどもであった私に、
その方はわざわざベンチから立ち上がって帽子を取り、
丁寧に深々と挨拶を返してくださっていました。
穏やかでいて力強い温もりをいつもくださいました。



育った家庭、学校生活、社会人生活、自分の新たな家庭…
成長とともに変わる状況の中で大勢の人と会いましたが、
あのような方と会うことは、もうありませんでした。




差し出したものを叩き捨て足で踏みつけにされるようなことばかり、
まったくエコーが返ってこない寒々しいやりとりの中で
いつしか私は真心を人に向けることはしなくなりました。
まったくの無力感と孤独感に苛まれ、やがて自暴自棄になっていきました。
閉じ込められた私の愛は枯れ、
かつてそんなものがあったという形跡さえ見出せなくなるほどに。





今、にっこりと微笑みかけるあの老紳士が蘇ります。
あの愛は、確かに私に向けられたものでした。
私にはそれを受ける価値があるはずです。
私はそれに感応する愛が内在しているはずです。




あの微笑みを、自分自身に向けようと思います。
誰の為でもない私自身の為に、あの優しさを捧げたいと思います。