対人ではなく対神

幼い頃から人とコミュニケーションを取るのが苦痛で仕方ありませんでした。
 自分の気持ちのすべてを言い表わせないし、
人々から返ってくる言葉は断片的で刺々しく、
物を捌くように人を手荒く扱うし、
上辺だけをさらって全て知ってる風に気取るし、
バカに馬鹿にされるのが一番耐え難いと思っていました。

クラスメイトの一人の新たな一面を見て、楽しくて、その子と一緒の時間を過ごせば、
これまで仲良くしていた子が猛然と私に意地悪を仕掛けてきます。
私を捨てて他の人に走るなんて酷い…ということらしい。
このセリフ、その後の人生でも何回か聞くことになるのですが。

面白いな、素敵だなと感じる方へ向くのが人間の自然な姿なのに、
誰に遠慮する必要があるのだろうか。
たまたま先着順で出会った人、出来事を、
なんでいつでも最優先としなければならないのか。
このことを考えると今も胃がムカムカしてきます。


母親になってからもあることないこと私の発言として吹聴されたり、
一斉に全員から口を聞いてもらえなかったり、
大勢の前で私から苛められたと演技する人もいました。
私の持ち物、服装を批判した人が、そっくり同じ格好をしていたりして。


本当に疲れました。
嫉妬に翻弄され、立ち直れないほどに心が折れました。


それからというもの何をやっても悪意に取られるので、
相手の反応を窺いながらツマミを絞り、
弱火か消える寸前のトロ火で、対応してきました。





昨晩の勉強で、コミュニケーションはひとつしかないことを知りました。
私たちは分離などされていないので、どこまでいっても神の世界。
対人ではなく対神。

目の前の人を何とかしようとするのではなくて、
神に話し掛けるつもりで。
すべてが神に捧げる言葉であると意識して。



ふんどしを締め直します。
この気持ちでコミュニケーションしていこうと思います。