65 何度も何度も切り替える

お気に入りの曲をiphoneで聞きながら、犬と散歩をする。
これを聞くと、夢見心地、ふわふわと地に足がつかないような心地に入る。

この入るという感覚

現実から幻の世界へ、意を決して入ると思っているけど、これは本当は逆なんだ。

霞を食べて生きてはいけない、夢見る夢子さんでは生きていけないんだと
心を鬼にして生きるよう自分に仕向けてきた。
これは完全に母の受け売りなのだけれど、
あくまでも「母の」人生のモットーであって、「私の」ではなかった。
私の息子は無意識のうちにこれと同じことをする私の押し付けを
きっぱりと断って彼の人生を行ってしまった。
憐れな私は茫然自失で取り残された。
そして気付きを与えられていたことにやっと気付く。
こんなのありなの?
ありなんだ!

心地良さ、快適さ、好み、寛ぎ、好奇心、情熱・・・
そういうものを嗜むのは、あれやこれやの用事を済ませてから、
何のタスクもないときに、余裕があるときにと自分から遠ざけ続けて来たけれど、
余裕があるときなど未だかつてなかったし、そんなときは一向にやって来なかった。
そしていつしかこのノーサティスファクションが通常・現実という私の人生があった。

私は今、これまでとまったく逆の生き方をする。
そういう選択をしたからこそ、このような境遇になったのだから。
いつもすぐ忘れてしまうけど、
だからダメなんだと持っていこうとするエゴの誘いはスルーして、
アスファルトから芽を出す草花のように、
小さな力でじわ~っと毎日毎日訓練していこう。
何度も何度も、“そうではなかった”と立ち位置を切り替えるレッスン65。