6月9日

第3章.V.6-7
この箇所を理解するのにJACIMの質問№88が大いに役立った。

赦し方の例その1
私は再び内なる教師(イエスor聖霊)からの愛を拒否し、
それについて自分を裁き、罪悪感を感じた。
さらにその後、そうした愚かさを笑って退けずに、
自我の言うことに耳を傾けて、その罪悪感をこの人の上に投影した。
それが理由で、私は怒りを感じている。
この人が何をしたかには関わりなく、私の怒りはひとつの解釈に他ならない。

許し方の例その2
肉体的、心理的、経済的な問題や何らかの形の犠牲などについて
心配していたり恐れていたりするときには、その問題をあなたが設定したように見るのではなく、
ありのままに見ることができるようにと、聖霊またはイエスに助けを求めます。(省略)
罪のない被害者を見るようにプログラムされた自我の目で見ているに違いない
ということを思い出す。(省略)
知覚とは常に解釈です。