宛先のない手紙を書きます

2014年中には新しい生活が始まると思っていましたが、離婚協議がなかなか進みませんでした。
この進まない理由は私の心の表れで、私の心が二の足を踏んでいたからだと思います。
 
これと思って臨んだ家族から離れることは、自分のこれまでの人生を全否定することでもあり、
またこの世から切り離されるような気がして、怖かったのです。
気持ちを改めたらまだいけるのではないかとあれこれやってみたりして、
でもやっぱり上手くいかなくて…を繰り返していました。

そうして今やっと、無いところに求めてもどうにもならないのだということがよくわかりました。
私は愛が欲しいので、愛のあるところに出て行こうと思います。

私は幼い頃から精一杯やってきて、もうこれ以上はできません。
このように言ったとき、気付きました。
受け取っていく人生にすればいいと。

受取ることと与えることは同じですよね。

愛に恵まれるには自分が何かを与えなければいけない、
それが足りないから得られないのだと頑なに信じてきましたが、
受取ろうとしていないから得られないのでした。

このような私を受け止めてくれる愛があるのなら、そこへ行こうと思います。
亡骸は後にしないといけません。

見ず知らずの土地へ行ってどうなるのかなどと考えもしました。
どうしてそこへ行こうとするのか理由は自分でもわかりません。
しかし私がそう望むなら、それを叶えようと思います。
憧れを憧れのままにせず、ちゃんと掴む行動を起こそうと思います。
たとえそれが目に見える成果を生まなくても、そうすることは私の人生には何か価値があるはずです。

何もしなくても歳は取る。結果は同じ。
でも今より体が不自由になったとき、どうしてあの時それをしなかったかときっと後悔するだろう。

自分を今より遠くへ、行けるところまで運んであげようと思います。
やっとやっと決心がつきました。