矢野顕子ファミリーヒストリー

夕飯を食べつつ、矢野顕子さんのファミリーヒストリーという番組を見る。


数代前は松平容保に使える武士で戊辰戦争の後、青森へ追放される。
極寒の地で逃げ出すものも少なくない中そこに根ざし、
息子に教育の機会を与え、子孫たちはやがてその土地の医者となっていく。
医者である父、ミスユニバースにも選ばれるほどの美しい母との間ではぐくまれた矢野顕子

 


おとぎ話のようだった。一粒の種から大輪の花が咲く物語を見ているようだった。

 


私とはかけ離れているとか、こうでなかったからダメだったなどと
いちいち自分のケースを持ち出して悲観に暮れようとも思わず、
愛情あふれる家族の話にただ幸せに浸かった。

私にも息子に対する愛情があるな、ふと思った。
でもああだから、こうだからと言い訳を持ち出してしまえば、その愛情を示す機会は失われる。
両親にももしかしてあった愛情は、機会を得ず陽の目を見なかった。
在ったか無かったかといえば在るのだと思う。しかしそれを現すことがなかった。
私も同じ轍を踏むのか。これは私が選択できることだ。

私が勘違いしているせいで気付かないことがあるのなら、それを教えて欲しいと思った。
幸せな形で体験させて欲しいのだ。
もし私にもこのコースが言っていることを理解することができたとして。
あんな悲しみが自分のせいだなんて思えなくてもいいよね?
私にはわからないことがあったっていいよね?
私にとっての聖霊とは、私をゆるし、慈しみ、いたわってくれる存在だと、思いたい。