信じられぬわたしを信じるひと

すずめは、絶対、女社長になると思ってたんだけどな―
川辺を犬と散歩する私の耳元に、力強い友だちの声が響く。 


コーチに発破を掛けられて速度を上げた生徒たちは、
十代の始めの薄くしなやかな身体を鍛えている。

この日の空模様を転写したような彩度の低い服装の老人たちが、
ゲートボールに興じている。
 
静かに流れる水面を旋回してゆりかもめは対岸に向かい、
餌を撒いているのであろうビニール袋を持った男性に群がっている。


”すずめ”は、幼少期からの私のあだ名。
 小学生のとき、誰かが言い出したのが広まり、
そのまま持ち上がった中学校で先生にもこう呼ばれ、
地元から離れた高校で初めて会う同級生にも引き継がれた。 


あだ名、改姓、旧姓・・・。
“わたし”についてまわる名前がいくつもあり、
それらのどれもがわたしであり、どれもがわたしでない。 
そんなことを考えながら聞いていた。


若い頃の3年間を毎日過ごした。
それだけなのに、この人は私の何かを確実に捉え、今でも握っていてくれる。

じんわりと紙に沁みてゆく油のように、愉快さ、温かさが広がっていく。
何処から沸いてくるのだろう。
胸の中層あたりかな、それとも胸椎の芯部かな。
やがてそれは全身を包み込んだ。



私自身すら認めていない私の真相。
信頼してくれている人がいる。