死期にある父

骨と皮だけの状態。自分で飲食も排泄もでない。
肺には水が溜まり、人の手で押し下げてもらわなければ吐き切ることもできない。
あれから3カ月。未だ生きている。

老人専門の病棟。内科、外科の別なく、精神科も一緒。
痴呆、統合失調症やらが混ざっている。

四人同室の一人、ワンちゃんのぬいぐるみを抱きしめる男性。
立ったり座ったり、出たり入ったり、家の所在を尋ねて回り、寝かされてはまた起きて、
同じことを何度も何度も延々と繰り返している。
もうひとりはたくさんの管に繋がれて身動きができず。
やっと鳴らす呼出ベルも無用に鳴らすからと外されて、
気管に絡まるタンを取って貰いたくても知らせる術がなく、ベッドの上でもがいている。
もう一人の紳士はジッと窓の外を見つめ続ける。どこぞのエリート会社員だったような風貌。
挨拶をするも一瞥もくれず。その頑なな思いがどのようなものかは窺い知れない。
廊下からは嗚咽とも絶叫ともつかない喚き声。長くしつこく止まない。

新鮮な空気を吸いに外へ出たい、そうせずにはいられない。
しかし、身体の自由が効かない父は、そうすることは叶わない。
患者の発する絶叫に囲まれ、痴態を見、ただじっと宙を凝視している。

四角く切り取られた窓には青臭い雑草の群れを鬱蒼とした杉林が遮り、
そのわきに控えめに数軒の家。人影も通る車もない。
残酷なほど青く澄み渡る空に少しばかりやって来た千切れ雲。
テレビ番組であればチャンネルを変えたくなるような、あまりにも退屈な風景。
それをただ目で追っている。
壊れているのではと疑いたくなるほど遅々として進まない砂時計の砂が、
父の身体を少しづつ少しづつ埋めていく。
身体の自由が効かないまま、狂った世界の中に留め置かれ、
ひたひたと死の影が忍び寄ってくる状態とは、どれほどのものだろうか。



自分が撒いた種は、自分が刈取るようになっているんだ…


父が私たちにもたらしたあの陰惨な時間。
家族という牢屋に閉じ込められ、心臓をえぐられるような狂気の沙汰。
あの思いを味わってからでなければ、あの世にも行かれないのだ。


という因果応報を高らかに宣言したい思い、
積年の恨みをここぞとばかりに晴らしたいといった思いが
心の奥底から上がって来ている。
光の届かぬ湖底から、めくり剥がれて浮かび上がるヘドロ。
このヌメヌメとした感情を、私はしかと持っていた。


そしてまた、父と一緒に磔から降りたいという
何処かからやって来たもうひとつの思いが立ち上がって、
私は今、二つの思いの上に立っている。