ある反感

バングラディッシュでテロが起こった。

ある人がこう言う。

そこに平和、穏やかさ、信頼、永遠の命があるだけ

何度生まれ変わっても、私はそう思うことはないだろう。

人生で起こること、見ること、聞くこと、全部自分で選びとって、

今の人生がある

虐待、暴力、貧困、病気、失業…

これらに苦しんでいる人は全員そう望んだから。

テロの被害者は惨殺されたいと願い、
加害者は多くの人を殺したいと望んで生まれ、
その親も将来、我が子が惨殺されるために産み、

大量殺人者になるようにと育てた。

少女は変態に凌辱されることを夢見て、
パンの耳しかない食生活がしたいと願い、
アル中の父から殺されそうになって真冬の夜中に裸足で逃げたいと望み、
祖父母に助けを求めるものの迷惑だと吐き捨てられ、
近所の大人に懇願しても無視され、

どうしようもなく警察に助けてもらい、

近所中、学校中に噂され、
公営住宅でタダ同然の家賃に住んでいると会社の上司に嫌味を言われ、
妊娠中に夫が浮気をして帰って来なくなり、

ママ友から総スカンを喰らい、
神経が擦り切れてウツ病になり、

たった一人の子どもを愛すことはせず、

虐げた結果離れて、
人生の終りの方で独りぼっち…という人生を是非味わおう!!
そう切望したからその願いが叶ったんですね!!

神さま、ありがとう!!

人生って願ったことがすべて叶うんだわ!!

 


こんな風だったら、もう神経が完全に振り切れている。
精神病院の檻の中であれば、このように考えることができるだろう。
もしくは自分とは全く関係ないと安心しきっていられるなら。

 


誰にだって親に叱られたことはあるだろう。

でも、殺されそうになることとは違う。

自分の思い通りにならないことなんて幾らでもあるだろう。
でも、静かにただ眠りたいという願いがずっと叶わない環境とは違う。

欲しいものを買ってもらえないこともあるだろう。
でも、アル中患者の酒盛りのためにパンの耳しか食べられず、
空腹を覚えながらレストランに行ってみたいと思うこととは違う。

家に帰ったら食事が用意されていて、

生命の危険に晒されずに安眠できて、
寒くなれば服を買ってもらい、

自分で稼がなくても学費を払ってもらい、
将来の夢をズタズタにされることもなく…
という不自由のない環境で育ったプチブルな人がコースの学習者に多いと思う。
そういう人はマイノリティの苦労も知らないだろうに、
ゲイに理解がある自分を気取りレインボーの旗を掲げ、
フランスでテロが起きればこぞってフェイスブックにフランス国旗を載せる。
先進国で起きたからひと際センセーショナルに受け止められているけれど、
中東でアフリカでずっとテロは起こっている。
この人たちは今回のことでフェイスブックバングラディッシュの国旗を載せるのだろうか。

これを選んで、見たわたしには責任があって、わたしはその責任をとらなければならない

それはどんな責任で、どうすれば責任を取ったことになるのか?

『パンが食べられないなら、ケーキを食べればいいのに』とのたまわったフランス王妃みたいだ。
あるいはスキーリゾートに出掛け、大自然って素晴らしいと汚すだけ汚して、すぐ都会へ帰る旅行客。
地球温暖化を顧みず、ガンガンに暖房を効かせた室内で半袖でいる人。(まさにアメリカ人)
この人たちがコースを説くと、この世の多くを占める人々のためのものではないのだ、という気がする。