ためらわずに、媚びずに、行け

海外に在る日本という趣旨のテレビ番組を見た。
店員全員が現地人というポルトガルの日本料理店。
海外によくある韓国・中国人によるモドキでもなく、
本物を知らない見よう見真似のナンチャッテでもなく、
一人の日本人が教え育てたポルトガル人の料理人たち。
生ものは体温に触れたら悪くなるという観念から
一度刺身を盛ったら二度とそれに触れてはならないといったことをちゃんと理解し、守っていた。
現地風にアレンジされ過ぎることもなく、量や盛り方、取り合わせなど、日本で食べるそれだった。

そしてオーストラリア人夫婦による日本旅館
日本滞在時、温泉旅館の女将のもてなしに感銘を受け、シドニーの自宅を温泉旅館に改装。
木工教室に通って和室の建具を手作りし、鯉の泳ぐ日本庭園も自分たちで作った。
宿泊客は現地人で、浴衣を着てくつろぐ。畳に布団を敷いて休む。
年配者や足の不自由な人は畳に座ることができないためイスを用いるが、
イスを畳に直接置くと跡ができてしまう。
そこでお手製のスキー板のようなものをイスの脚に履かせたりと、
自分たちの建物を慈しみ、大切にしている様子だった。



日本のモノなど何も無いところで、一から作り上げていった人たち。
あれがない、これがない、こうでなければ、こうだから…は全部
やらないことの言い訳なんだな。
情熱を、何年掛けてでも、自分の“好き”をずっと保ち続けることができるならば、
それは現実となって現れてくるんだなと思った。

私はまたしてもブレて、
こんな将来にしたい、それにはこんな資格を取って、そしてこんな仕事に就いてと、
いつもの“計画の加速化”をしてしまい、その通りはならないジレンマにジリジリしたり、
嘆いたりするという十八番の芸をまたやらかしていて、バカみたいだ。



もしポルトガルのような素敵な所に住んだとして…
そこで私はお着物を着て過ごして…
現地の日本人や日本の物が好きな方々に、着物のことを教えて差し上げたいな…
着付けもしてあげたいし、自装も教えてあげたい…
現地では入手困難だろうから着物や帯も作ってあげたい…

憧れの中に飛び込むと、そこから夢が広がる・
それを、ここで一つひとつ身に付けよう。
そのためのアルバイトであって、その会社に気に入られようとしなくても良いのだ。
そのための先行投資であって、誰かのお勧めを拒んで、自分の欲しいものだけを選んでもいのだ。
何よりも、私の胸がときめくことを、ためらわずに、進め、ということなのだった。