AC

ACの互助会へ参加しようと決めた。色々と吟味しているとがんじがらめになってしまう癖があるので、思い立ったその日に開催されている近場に行ってみた。

 

いただいたいくつかの小冊子に印象的なことが書いてあった。機能不全家族で育ったことにより持っていると思われる特徴が書かれてあって、ひとつひとつが胸に刺さって痛かったが、中でも―

 “承認を追い求めるうちに自分が何であるかわからなくなった”

 “自身がアルコールホリックになったり、そういう人と結婚したり、ワーカーホリックなどの強迫的な問題を持つ人を見つけては、病んだ見捨てられ要求を満たそうとする”

“自分のことを厳しく裁き、自己評価が非常に低い”

“とても依存的になっていて見捨てられることを恐れ、見捨てられる痛みの感情を経験しないで済むように人との関係が切れないようにする為になら、どんなことでもしようとするほどだ。その痛みの感情は情緒的に不在だった病んだ人たちと一緒に生きてきたことから受け取ったものだった”

“自ら行動する人ではなく、反応する人である”

 

これらが特に当てはまっている。

人との関係において私には二通りのパターンがあり、一つはええかっこしい。私はここにいる誰よりもわかっていて、苦労した大人物だと完璧に思い込んだ言動をする。シェア会などでは誰かの欠点が気になり、指導・指摘したくなる。先輩風をふかしたくなる。二つ目はこの人なら心をゆるせると見込んだ人にわかってもらおうとしてしまう。どんなにおぞましい環境で育ったか、これまでどんなに酷い扱いを受けてきたかをわかって欲しいという縋るような要求が、際限なく漏れ出てしまう。当然、嫌厭されて人との関係が築けない。

元夫はお酒の飲めない人であったが、24時間中23時間は仕事場、残りの1時間でシャワーを浴び着替えてまた仕事へという完璧なワーカーホリック。そんな人だとは露知らず結婚したのに、ちゃんとそういう人を引き当てている。

生きてくる中で張り裂けんばかりの悲しみに何度か遭遇するわけだが、どうにも行き場のない感情を私は自分に向けていて、文字通り刃を向けるかのような辛辣な罵声を自身に向かって吐き、罵り、殺すほどに追い詰めたという実感がある。この時期ひとりで奮闘していた子育ては、私のようにはなって欲しくない、そんなことではダメだという狂気がベースの非常に厳しいものであった。

見捨てられてしまったその後、適切なケアを受けるとか、見切りを付けて希望のある所へ向かうといった経験がまったくなかった。他の世界があることすら知る由もなかったので、幼い頃に強いられたその地獄に留まり続けるということを大人になってからもした。あるいは反動的にすべて何もかも壊してしまいたくなって、一気に捨てたりした。

 

ああ、ここまで書いて泣けてきた。私の人生めちゃくちゃだな。

これでよく生きてたな。このまままだ行こうとしてたなんて痛ましい。

 

 

こういう特徴があるということを自覚して、ステップを踏んで解決していくのだそう。

そしてショックなことに、

“自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった”

とある。

 

やっぱり対面する日が来たか。いつか決着を付けなくてはいけないと思っていたが。ここを通らなきゃもう進めないんだ。観念するしかないんだ。

 

 

もう仕事もできず、貯金も残りわずかなのに、ひきこもりになってどうにもならなくなってしまった。ここまで底つき体験をしなければ、聖霊に助けを求めようという気になれなかった。