レッスン28 八坂神社節分祭

芸妓さんの奉納の踊りを見に八坂神社へ行ってきました。
舞台前には早くからカメラを持ったお客さんが待っており、
もみくちゃになるのを避けたくて少し離れた階段に立つことにしました。

スペースは空いているというのに、中国人観光客がぶつかってきます。
まるで私を木か壁とでも思っているかのような配慮の無い振る舞いに、
夢見心地な天上界からいつもの世界に引きづり戻されます。
だから中国人は嫌いなんだ!
心の中でふつふつと湧き立つ怒りと嫌悪感。

今日のレッスンを思い出します。
「何をおいても、わたしは物事を別の見方で見たい」

それとこれとは別。
このレッスンがどう役立つというのよという心の声。
日本人や白人、韓国人などはマナーをわかっていて、
ぶつからないように気を付けているというのに、
この中国人ときたら我が物顔でのさばって。
迷惑を掛けるという概念がないのか!

激しく呪う私がいます。
レッスンに戻ろうとする私がいます。

私の正当性を主張すれば、たちまち世界が鎧戸で閉ざされる…
そういう見方は捨てなければ…
でもこの憤りの持っていき場はどうなるの…
そんな葛藤の中にいました。





そうして待つこと一時間。
場内アナウンスと共に豆を撒く役の人たちが三十人ほど現れました。
殿中松の廊下みたいな恰好をした男女。
男装をした女性が混じっています。
普段と違う格好をして鬼をやり過ごすという意味があるそうで、
おそらくは花柳界の方かもしれません。
舞台をぐるりと囲んだ後、いよいよ芸妓さんが登場。

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着物を着るとは舞台装置を引き連れて歩くことだと常々私は思っていますが、
芸妓さんの半径数メートルは次元が歪んで見えます。
そこだけがリアル、ライヴの世界で、他はふっと色が消え、フリーズしてしまったかのよう。

三味線に載せた唄声に併せ、くるりくるりと艶やかな姿がうごめきます。
私の隣の女性がハミングしています。
この唄を知っているなんて素敵。
色恋を儚んでいるのか春の花を愛でているのか…
その世界に浸る感覚が波及して、より深く酔いしれていきます。



私はこれまでのさもしい経験を持ち出して
馴染みのある狭い世界に閉じ籠っていたいのだな
本当の私たちを見たくないがために
そんなものにしがみついていたい私なんだな
という思いがどこかから流れ着いてきました

ああその通りだ
数百年続いてきた日本の美しいこの光景に
人の抱く思いや丹精、昇華、祈りなどを見て取っている
時や場所を超えて様々な国の人々と一同に味わっている
というこの奇跡、これこそが現実なんだ
それを私は幻想で掻き消そうとしているんだ



今日は“そこに宇宙の目的を見る”まではいきませんでしたが、
私にはこれが今日のすべて、精一杯で、よしとすることにしました。