ミイラ取りがミイラになる

 

 

これはクリーンヒット

 ameblo.jp

 

 

軍隊式にこどもを画一化しようとする教師たちに意義があった

会社も社会もそれ以前に親が、おかしなことを強いていた

 

気付くところ、気付かないところ、

できること、できないこと、

好きなもの、苦手なもの、

皆それぞれ違うのは自明の理なのに

人と比べ

できないところがあるとその人丸ごと欠陥品とし

努力と根性で一流品に近付けるべき

という価値観を唯一の人の道として 当時の日本の大人たちは生きていた

 

みんな一緒じゃなきゃダメだ

和を乱すな

平等だからガマンしろ

 

こういうことに従わされる時の抵抗感といったら

心を 人間性を 魂を 殺されるようなものだった

このことのクレイジーさを説明する語量が無く

訴える術も無く

鉄拳制裁という暴力に屈して

ぐじゅぐじゅの膿を抱えて生き長らえるはめになってしまった

 

 

 

いつしかこんなことも忘れ

自分が親になったとき

私の意見に従わない子を憎むようになっていた

  

私は自分を人生の落伍者と見ており

まわりの成功者に見抜かれないように見劣りしないように

必死で取り繕った

ねばならぬ、してはならない、でがんじがらめに拘束し

粗が出ないように息をひそめて生きていた

 

 それなのにこどもは自由奔放に行動し天真爛漫に発言する

顔から火が出る思いだった

親の教育がなってないと言われる

生まれが良くないと思われる

世間体を意識したコンプレックスだった

 

 また同時に

こんな出自の悪い私のようになってほしくない

私のような悔しさ辛さは味わってほしくないという

子の幸せを思う真心が歪んだ形で出たものでもあったのだった

 

 

 

当時は気づいていなかったのだけれど

失ってみて通り過ぎてしまって はじめてわかる思い

悔い、焦り、無念など様々な思いの中に

自分のした行為のベースとなる思いにも気付けた

 

 

 

みんな違ってみんな良い

こう思っていた私がそれを阻まれて

いつの間にか

私の価値観に外れた者を許さなくなっていた

やられて泣いた嫌なことを

自分の中で消化できずに膿み腐らせて

刃向う者は当然受けるべき罰として

自分がそれをふるう側になっていた

 

 

 

これまでの私なら

こんな自分を呪い、制裁を加えて、少しはマシになろうとしたと思う

 

けれど今は別な思いも湧いてきている

こんなに長い間痛みを抱えていた自分

私の中の当時の私を迎えに行って、抱きかかえ、労わりたい

言葉を使って優しく接し、言い分をそのまま語らせ

好きなようにさせたい

 

この私はあのときを耐えた

ずっと憤りを抱えながら今まで生きてきた

こんな思いを味合わないようにと

私の大事な愛する我が子にも

彼女なりの精一杯を差し出していたのだから

健気なケイコちゃんを抱きしめてあげたい