私の望むこと

今夜の瞑想クラスは数か月ぶりに再開された。
9時半からのスタートだったが、眠くて眠くて、メモを取るのに難儀した。
まだらな記憶に、理解したことを併せて、覚え書き。



今、無いものが、この先現れることはない。
心にあるものが、投影される。

見せてと頼むのではなく、
人にやってもらうのではなく、
決めつけを脇に置き、
自分が見るんだと決めて、
人に、美術品に、会いに行く。

自分の経験したい事だけをはっきりさせたら、
そうなっていく。

外にあるものを経験していくのではない。
自分の内にあるものが、外に現れる。




―私は何を経験したいのか―
リストアップ
①小さくても良いからおうちが欲しい。そこでB&Bをやりたい。
来てくださる人と楽しい時を過ごしたい。

②息を飲むような美術品、工芸品に触れていたい。
作り手、受け手、取り次ぐ者たちらが情熱を共有し、
喜びを持ってうやうやしく、それを囲んでいるような仕事に就きたい。

クローズアップ
①まず、小さくても良いというのが余計。自分で限定しないこと。
おうちの形とか、誰を招いてとかという、そのもう一歩先を見る。
形にこだわると、そうならない事とのギャップに苦悩することになる。
様々な外国船が立ち寄る港のように、旅人がもたらす未知の世界。
その話を聞くと、自分の世界が広がるような気がする。
世界が外に向けて広がる、展開していく様をワクワクしながら思い描く。
そういう経験をしていきたいのだ。

②作り手の情熱の結晶に感応した者の手によって、同じく感応する者に受け取られていく。
そういう世界の仲介者となる(と真紀子さんは言っていたような気がする)。
これも①と同じく、私の世界を広げていきたいということだし、喜びを共有したいということ。
そこには広大で深遠、漆黒、燦々、甘美、渋み、艶めき、沈殿、、、
色とりどりの機微があって、それを感動をもって体験していく。

なんだ。そういうことだったのか。私がこの人生で望むことは。
このうちのどれもが私ではない、私と同じ成分ではない。
ただ味わっているだけなんだ、、、と思うとすごく心が身体が軽くなる。
もう苦渋とか暗黒はたくさん味わったから、今度は艶めきとか温もりとかを味わいたいものだな。

こんな認識で良かったか?という一抹の不安を感じつつ。